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 「永遠の嘘をついてくれ」 ― 拓郎&かぐや姫2006年「つま恋」コンサートの男と女 2006年09月28日

吉田拓郎とかぐや姫の2006年つま恋コンサート(http://www.takuro-kaguyahime.com/)が終わった(http://www.asahi.com/culture/music/TKY200609230185.html)。私はこの放送を見逃した一人だが、1975年のつま恋コンサート(http://www.forlife.co.jp/yoshidatakuro/FLBF-8072.html)の伝説は実感を有している。私が20歳を超えたばかりの時代の伝説だった。私は最後まで拓郎を好きにはなれなかったが、嫌いな歌手でもなかった。少なくとも井上陽水を好きな連中よりは拓郎好きの連中の方がまだマシだった。

2006年のつま恋コンサートの最大のトピックは中島みゆきがステージに突然出てきたことらしい。会場全体にどよめきが起こったとのこと。このどよめきの意味することはただ一つ。かつて中島みゆきは拓郎の“女”だったということ。つま恋コンサートにいい年をして足を運ぶ連中なら公然の秘密のように知っている。

別れた二人のことをそのまま中島みゆき自身が歌にしたのが、『永遠の嘘をついてくれ』(http://plaza.rakuten.co.jp/kansha/diary/200609260000/)作詞作曲 中島みゆき、歌 吉田拓郎。書く方も書く方、歌う方も歌う方だ。

私はあきれているのではない。色恋の世界は、どこでも誰にとっても普遍だ。

ほかでもないこの歌を、突然の中島みゆきのステージ登場と共に拓郎とデュエットしたらしい。

その時の写真(1)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/0d/e98315d6a67fda8df3a6416781f5d5bf.jpg

その時の写真(2)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0f/8aa6b1c67d508ccb6326a5d3b4521524.jpg


●「永遠の嘘をついてくれ」 中島みゆき 詩・曲

ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便はまだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ

この国を見限ってやるのは俺のほうだと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏町で病んでいると
見知らぬ誰かの下手な代筆文字
なのに永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ  出会わなければよかった人などないと笑ってくれ


この歌を2006年の「つま恋」で歌った時の様子を、テレビを見ていた人は次のように書いている。

突然拓郎が生ギターで歌い出し、1番が終わったころ左袖から女性が入ってきた。
すぐに中島みゆきだと分かった。
この歌も、中島節がしっかりと出た力強い歌だ。
拓郎が歌うと自分の歌のように聞こえるから不思議。
そして、さいごは二人でさびの部分を歌い、さっと引き上げていく。

拓郎は「中島みゆき!」と最後に紹介した。
中島みゆきは、観衆に手を挙げて、さっと消えていった。
その潔さというか、さわやかさに私は感動を覚えた。
(とあるブログより)


このブログ子は、「潔さ」「さわやかさ」と書いているが、そんなことあるわけがない。むしろそこまで(さびの部分を歌うまで)が中島みゆきが拓郎と一緒にいることのできる限界だったという他はない。

拓郎を究極のところで憎しみながら、パロディに転換する、そのパロディ自体が憎しみを増大させる。まいった、まいった。そこまで自虐的になるのか。

これは推論でもゴシップでもない。それに私は拓郎を批判しているわけでもない。この詩(の意味)を感じているだけだ。「永遠の嘘」。「の」がすごい。普通は「永遠に」と副詞を使うだろうが、中島みゆきは「の」と書いた。「永遠の嘘」とはあれこれの嘘(複数形)ではない。「嘘そのもの」ということである。中島みゆきは、拓郎伝説自体をひっくり返そうとしたのだ。それに私は、ぞっとする…。

中島みゆきは何年経っても、拓郎が死ぬ直前であろうと、長くは一緒にいられまい。拓郎もまた死ぬ気で(恥を忍んで)中島みゆきをコンサートに呼んだのだ。最後まで拓郎は女に甘えているのである。男女の関係(あるいは人間の関係)はいつでも難しい。男はいつでも最後には女に許してもらえると思い込んでいる。そういう思い(思い上がり)が、女性になにがしかのキズを残す。そのキズを癒すように女性はいつも叫んでいる。「永遠の嘘をついてくれ」というように。

私でさえ、これは家内が私に書いた詩だと思うくらいだ。すべての女性は「永遠の嘘をついてくれ」と叫んでいる…。男は拓郎に限らず、「永遠の嘘」つきだ…


※私の拓郎関連記事
「拓郎&かぐや姫・2006年つま恋コンサートをまた見逃してしまった ― 拓郎は叙情的な体育会系」http://www.ashida.info/blog/2006/10/2006.html

「『永遠の嘘をついてくれ』映像を今頃見つけました ― やっぱり拓郎と中島みゆきは“できている"」
http://www.ashida.info/blog/2006/11/post_176.html

(Version 6.0)

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感想欄

昔、拓郎ファンだった主婦です。このコンサートのことは知っていましたが、行っていません。

この記事を読んで自分の拓郎観が間違ってなかったと思いました。

私は拓郎がキンキキッズといっしょに出ている夜のテレビ番組での態度をみていて、もうテレビになんかでないで、とがっかりしたことがあり、それから私の中の拓郎はレコードの中の拓郎で封印しました。

大人らしく若いタレントを見守るわけでもなく偉そうな顔だけして画面に映る拓郎がいやでした。

才能のあるやんちゃ坊主が年をとっていくことをこわがっているなんてさびしくなります。

芦田校長が今の拓郎に拍手を送らず、ばっさり斬られたのがすごいと思いました。

同じ年の頃の芦田校長は、自分の年齢で今を生きてらっしゃる、そういう50代って少ないでよすね。

投稿者 WAKO : 2006年09月29日 15:41

小生は中継を見ていましたが、中島みゆきの登場時のどよめきの意味が「公然の秘密」にあったとは知りませんでした。

小生自身は素直に「中島みゆき」の登場に驚きました。
事実として本当に「公然の秘密」なんでしょうか?

投稿者 門外漢 : 2006年09月30日 21:28

「門外漢」様

「公然の秘密」かどうかは、この詩(「永遠の嘘をついてくれ」)を読めばわかります。

拓郎なんてくだらない男なんだよ、ということをこんなにも公然と(美しく)表現した詩はない、と思います(もっとも、すべての男はくだらない男ですが)。

浅田美代子、森下愛子と拓郎が結婚した段階で、中島みゆきの“怒り”は頂点に達したのではないでしょうか。その段階で、少女中島みゆきは完全に、遊ばれた、と思ったと思います。

なぜ、浅田美代子なんでしょうか、なぜ森下愛子なんでしょうか。まるで、サッカーの三浦知良が設楽理佐子と結婚するような恥ずかしさです。でも“カズ"はまだいい。プロのスポーツ選手なのだから。

長渕剛のようなもともとくだらない男が、拓郎のまねをして石野真子と結婚するのはまだわかるが、なぜ、拓郎までが、そんな趣味なのか? それがわからない。フォークシンガーなんて、(おかまがそうであるように)ひっそりと結婚すべきです。個人的な趣味なんて表に出すべきではありません。

投稿者 ashida : 2006年09月30日 22:06

彼女が圧倒的な存在感を示したということだと思います。
あそこだけが今年度録画すべきライブの最高の映像だったと思います。

中島という人の力が飛びぬけていて、拓郎との力の差を見せ付けました。

ただ拓郎はそれを知っていてやっているのです。

えーいやっちまえって、多分リハではなよって、びびって
おののいてへたへた、拓郎の人間がかわいい。

そして一期一会の迫力が、私たちの心を揺さぶったのです。

これは三部作になっていて
一部は晴れやかなニューヨークで、時空を超えた恋人達に
二部はうらぶれた上海にして、いきがっていた友人達に、

そして三部はおいぼれそうな今の私たちに
心細い希望と勇気を与えている
そこのパートを拓郎は歌った、
でももうボロボロだった、
ぎりぎりとりなして、
目もあわせず、ふりきれない男と、ふりきった女、握手の時ふるえて
こわかった。

でも本当に
「出会わなければよかった人などいない」よね、みんな!

穂先でした。


投稿者 穂先 種明 : 2006年10月30日 16:32

穂先さん

盛り上がりすぎです。

投稿者 ashida : 2006年10月31日 12:37

何だかんだ言っても、二人にしか解らないことがあると思います。

二人のデュエットは初めて見ましたし、次は無いような気がします。

皆さん、新しいことをしていますか?

投稿者 もへじ : 2006年11月23日 03:44

憶測、偏見、伝聞によらないご意見、大変立派だと思います!

良い年の重ね方をされていますね。

驚愕しました。ありがとうございます。

投稿者 武山 裕玄 : 2006年12月11日 03:37

先日、掃除をしながら何気につけておいた「つま恋ライブ」のCS放送からこの歌が聞こえてきて、なんだか強い引力にかられ、掃除をやめて見入ってしまいました。

私は35歳で、フォーク全盛期をリアルタイムで体験していないので、「あ、この歌いいっ。CD買おう。何て曲だろう。」で検索したところこちらに辿り着きました。

中島みゆきと吉田拓郎はそうなのですか? 本当に?

それを知らずともこの曲は強い引力があります。

それは私が女子だからでしょうか?(^o^)

投稿者 ぷーちん : 2007年08月19日 23:54

私は49歳拓郎ファンです。(男)

偶然ここを読んでしまいました。

人ぞれぞれに拓郎感が違うんだと感じています。

私はつま恋に参加しましたが、ぜんぜん違う感想を持っていますし、少なくとも2002年のNHKでの瀬尾さんのビッグバンドとのコンサート以後の拓郎はすばらしいと思っています。

それ以前については私も拓郎もっと燃えてくれ!とか、出されたアルバムの曲に物足りない時期がありました。

しかし、吉田拓郎の70年代からの今日までの生き様は私には理解できます。

 でもこのサイトはサイトでこのようなポジションの方もいるんだと読ませていただきました。

 私にとって吉田拓郎は、いつまでも心を熱くさせてくれる、日本で唯一の男です!

投稿者 たくろう大好き : 2007年09月09日 01:27

んー、1年も経って、今更って感じですが・・・。

中島みゆきが拓郎の”女”? 公然の秘密?
そうでしょうか?噂や憶測をネタに断定するのはどうでしょう?

詞を読めば分かりますって、言われても・・・。

歌は、全てが事実を基に書かれたり、自分の感情を吐き出すために書かれる訳ではないですよ。歌を創る作業のなかでは、テーマを決めたら、あとは作り話の方が多いくらいです。いちいち自分の経験や過去を歌っていたら、身が持ちませんよ。

まして、この二人くらいのアーティストが、そんな事しますかね?中島みゆきが拓郎を憎む?拓郎伝説をひっくり返そうとした?それを拓郎が分かってて、わざわざ30年ぶりの”つま恋”で競演した?

拓郎は、いろいろ考えて演じるくせに、何も考えてないフリをします。そして、最後のところで、本当の気持ちを隠してみせたりします。

逆に言えば、分かり易いようで、分かり難い。分かり難いようで、分かり易い。そして、拓郎は、いつも人の期待を裏切ってみせます。今まで拓郎を見てきた人なら分かるでしょう。いくら肺癌という大病から復帰してきたからと言って、あの吉田拓郎が、そんな事をするなんてね。

もしそうだとしたら、拓郎も随分と老いたんですかね?確かに、拓郎と中島みゆきは仲が良かったですよ。若い頃の中島みゆきが拓郎に憧れていたのは有名な話です。

ただ、中島みゆきが拓郎の”女”だなんてねぇ・・・?はっきり言って聞いた事ないし事実無根でしょう。ストーリーとしては面白いと思いますが、拓郎は、そんな自虐に付き合いませんよ、絶対に。

”つま恋”での競演は、若い頃、吉田拓郎に憧れていた中島みゆきが、肺癌という大病から復帰して30年ぶりに”伝説化”されたイベントを開催した少しセンチメンタルになっている拓郎に、敬意を表して競演の依頼を応諾した。

そして、それを見た人達は、自分達の経験と年齢で、自分達なりに解釈して、そのサプライズに感動した。それだけだと思いますよ。ただ、そのときの中島みゆきの存在感が圧倒的過ぎて、主役を喰っちゃったって感じでしたけど。
皮肉っぽい言い方ですが、芦田さん、”吉田拓郎”を御存知ないようですね。

投稿者 通りすがりですが。 : 2007年09月25日 09:57

私は、「永遠の嘘をついてくれ」に(色々な意味で)感動した。その詩の中で表れる中島みゆきと吉田拓郎の関係に関心をもった。それだけです。私は歌詞を解釈した。それだけのことです。

「拓郎は、いろいろ考えて演じるくせに、何も考えてないフリをします。そして、最後のところで、本当の気持ちを隠してみせたりします」。

こんな見てきたようなことを平気で言えるあなたなら、この「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞の意味がどうしてわからないのでしょうか。何の“関係”もない、尊敬する男に、こんな詩を送る女なんていません。かけてもいい。

それがわからないあなたは、単なる恋愛音痴です。吉田拓郎ファンであることは充分に認めるにしても。

投稿者 ashida : 2007年09月25日 21:26

この歳になれば嘘かどうかなんてわかりすぎるくらいわかっている。

知らないなんて思っているのは本人だけ?

本当のことも嘘もまとめて好きなんだと素直に言えといいたい。

でもわかったときは世の中だいたい遅いんだ。車の運転でも危険予測がだいじなんだよ。ぶつかってからでは遅いと。

詩もいいが私はメロディーが好きだ。

悲しい歌詞なのに美しい情景が浮かぶ。やせ我慢がなんともいえない。

投稿者 CM : 2007年12月01日 06:51

カメながら、書かせていただきます。

人それぞれ、拓郎ファンには彼の無様な行き方をわかっているのです。

わかっていても、彼の歌を聴きたくなるのは、彼が、人の心の中に裸足で入ってくるから。感動しますよ。

中島みゆきと出来ていようが出来ていまいが、そんなこと関係ないんです。

そういうことをいちいち画像リンク付きでアップされるあなたは、まだまだ青いですね。

人の心を揺さぶるっていうことがどんなことか、わかっておられないようですね。

投稿者 拓郎ふぁん : 2008年09月26日 15:47

>拓郎ふぁんさん

あなた、私の書いたことをちゃんと読んでいますか。

私は拓郎の歌をダメだ、なんて一言も書いていませんよ。

いい歌だ、私も「永遠の嘘をついてくれ」と家内からいわれているのかな、と思わせるほどの迫力のある歌だ、と褒めているのです。

「ファン」だというのなら、それくらいのこと、わからないと。

投稿者 ashida : 2008年09月26日 19:52

通りすがりで失礼します。
拓郎ふぁんさんも別に芦田さんが拓郎の歌をダメだと言っているなんて一言も言ってませんね。

拓郎が誰と出来てようが出来ていまいが関係ない。
それをいちいちうだうだ書いていることに対し“ナンセンス”であり、“青い”と言っているだけですよねぇ(^^;

まぁ僕も画面の向こうの人間の色恋沙汰を、限られた情報源から“断定”までしちゃうあたり、正直「うーん」と。
色恋沙汰なんて特に“当人”にしかわからないですからね。

こう思う、こうだといい、こうなんじゃないか、はわかりますけど、「こうだ!!」とはねぇ・・・

ムキになって反論する辺り、また「この歳になればわかる」なんて言える程、悟っている人の言動、行動とはほど遠いような気がしてしまいます。

投稿者 通りすがりですが。。。 : 2009年01月11日 17:46

バカを言ってはいけません。

1)「限られた情報」って何ですか? 「情報」はいつでも限られたものです。

2)「限られた情報」は、私の場合、この『永遠の…』の歌そのものです。

3)私はこの歌の持つ喚起力に付いて語っているのであって「人間の色恋沙汰」そのものに関心があるわけではありません。

4)「人間の色恋沙汰」を想像させてしまうくらいにこの歌の喚起力は優れている、と書いているわけです。

5)「芦田さんが拓郎の歌をダメだと言っているなんて一言も言ってません」。したがって、これでもう話しは終わっているわけです。にもかかわらず「うだうだ」あなたが話を続けるのは、あなたがこの歌の喚起力をわかっていないからだけのことです。あなたは「永遠の嘘」の「の」の意味がわからない人なのです。だからこの歌をめぐって私に「うだうだ」言う資格はない。

6)「わかっていないからだけのことです」と「断定」するところを「だけだと思うよ」と砕けて書いたら、何かそのことによって、この歌の解釈や理解が変化するのですか。柔らかい言い回しが、とてつもなく陳腐で残酷な掲示板を構成していることはいくらでもあります。「断定」していてもあなたのような知ったかぶりの反論をわざわざ掲載して丁寧に答える「開放的な」営みもあります。思考の柔軟性は表現の仕方にあるのではなく、「理解力」にかかわっています。

7)「色恋沙汰なんて特に“当人”にしかわからないですからね」。あなたは男女関係について書かれた一つの歌を聞くときに、「“当人”にしかわからない」と思いながら聞いているのですか。寂しい想像力です。歌の喚起力というのは、「“当人”にしかわからない」そのことを書き上げたときにこそ歌なのです。それを私はこの拓郎=中島の『永遠の…』に感じた、それだけのことです。「色恋沙汰」を歌とは別にゴシップとして取り上げているのはむしろあなたの方です。

投稿者 ashida : 2009年01月11日 18:15
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